埼玉西武ライオンズリーグ優勝までの10年間の軌跡 前編 - 日刊野球ネイション

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埼玉西武ライオンズリーグ優勝までの10年間の軌跡 前編

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2018年9月30日、埼玉西武ライオンズが10年振りのリーグ優勝を果たした。実に長い10年間だった。この10年、そしてその前後を含め、ライオンズには多くの出来事があった。それらすべてを見てきたライオンズファンにとってこの優勝は、一入というものではないだろうか。


2005年には有価証券報告書虚偽記載問題が発覚し、西武球団の経営体力は一気に落ちてしまう。そして2007年にはアマチュア選手に対する裏金問題が発覚し、ドラフト指名権を剥奪されたこともあった。そしてその後は親会社である西武ホールデイングスが、西武HDの株式を保有した外資系投資会社サーベラスとの壮絶な戦いもあった。サーベラスは西武鉄道の不採算路線からの撤退だけではなく、ライオンズの売却も強く求めていた。だがみずほ銀行から出向していた後藤新オーナーが頑なにライオンズの売却を拒否し続け、ライオンズが売却されることなく、サーベラスは株式の売却によって西武HDから去っていった。筆者は思うのである。もし堤義明オーナーの後任が後藤オーナーでなければ、ライオンズはどうなっていたかはわからなかった、と。

さて、野球の話に戻ろう。上述した通りライオンズの優勝は10年振りとなる。パ・リーグは6球団しかないのにこれは長過ぎる。黄金時代が終わりを告げ、東尾修監督以降でライオンズがリーグ優勝を果たしたのは1997年、1998年、2002年、2008年、2018年となる。2004年に関しては一応リーグ優勝ではあるのだが、レギュラーシーズンは福岡ダイエーホークスに次ぐ2位で終えている。この20年ほど、だいたい4〜5年に一度優勝しているペースではあるのだが、それにしても2008年以降の10年間はあまりにもブランクが長い。ちなみに日本一となると2008年と、2位から日本シリーズに進出した2004年のみとなり、その前となると1992年まで遡らなければならない。

ライオンズはなぜここまで長期的に低迷してしまったのか?!2000年代中頃に関しては球団の身売り問題と裏金問題が尾を引いたと言えるだろう。特に裏金問題が発覚したのちは、西武球団はなかなか有力なアマチュア選手にイエスと言ってもらうことができなかったという。つまりドラフト上位指名を打診しても、裏金問題のせいで入団拒否する可能性を示唆されることが多かったのだ。そのために本当に欲しい選手を指名することができない時期も長かったようだ。

伝統的にスカウティングに絶対的な自信を持っているライオンズにとって、ドラフト戦略を立てられないというのは大きな痛手だった。それでも前回優勝した2008年くらいまでは、FAやポスティングで抜けた穴を埋めることができた。松井稼頭央選手が抜けた穴は中島裕之選手が埋め、松坂大輔投手が抜けた穴は涌井秀章投手が埋めてみせた。だがドラフトで思うような指名ができなかった影響が、2009年以降顕著になっていく。その後もFAによって多くの主力選手を流出し続けたわけだが、そこで空いてしまった穴をほとんど埋められなくなってしまった。特に投手力に関しては顕著で、涌井秀章投手、岸孝之投手の穴は未だに埋めることができていない。

ただ、ここに来て近年のドラフト戦略が身を結びつつある。肩痛に不安感はあるものの多和田真三郎投手が今季一本立ちし、甲子園V投手の今井達也投手も来季は開幕からのローテーション入りが大いに期待されている。しかし今季エースとして活躍した菊池雄星投手がポスティングでメジャー移籍することが濃厚となっている。するとまた大きな穴が空いてしまい、この穴を埋めるのにはまた苦労を強いられるのだろう。

ライオンズはドラフト上位で投手を選択することが非常に多い。その戦略を立てられなかった時期が長くあったことでチームビルディングが上手く行かず、投手力がどんどん衰退していってしまった。今季はもし榎田大樹投手の加入がなければ一体どうなってしまっていただろうか。本日現在のチーム防御率を見ても12球団中10位で、パ・リーグでは唯一4点台に低迷している。今季は打線の力でここまで勝つことができたが、しかしM1となった2試合が今後のライオンズの姿を映し出していた。ホームランが出なければ勝ちきることができない。つまり投手力に頼って勝つことが非常に難しいのが、現状のライオンズなのだ。これは短期決戦ではかなりの不利になってしまう。

だからこそライオンズは今オフ、リーグ優勝を果たしたからこそ投手陣の大幅な整備が必要となるだろう。東大和市出身でマリナースからFAとなっている岩隈久志投手の争奪戦に参加したり、ドラフトやトレード、もしくはFA選手の獲得で即戦力投手を獲得しなければならない。鈴木葉留彦球団本部長は「FAで獲得した選手は活躍しないイメージが強い」と言いFA補強には非常に消極的だが、しかしライオンズには石井一久投手という成功例がある。石井投手の成功例に倣い、地元出身の岩隈投手を獲得すればライオンズはさらに盛り上がると思うのだが、どうだろうか。

ライオンズが来季、今季と同じ戦い方ができるかと言えばそうはならないだろう。今季打った選手に関しては他球団もかなりマークし、なかなか打たせてもらえなくなるはずだ。M1からの2試合のような試合が、来季はもっと増えることが予想できる。そうなった時に必要なのがやはり絶対的なエースだ。1年間ローテーションを守り、表ローテの一番手として常に相手チームのエースピッチャーと投げ合って勝てる投手だ。ライオンズには涌井投手が抜けて以来、そのような投手が出現してこない。

やはりライオンズは涌井秀章投手を流出させるべきではなかった。涌井投手は地元愛を貫き千葉ロッテマリーンズに移籍して行ったわけだが、果たして話はそれだけだったのだろうか。涌井投手も優勝争いができるチームで投げたかったはずだ。しかしマリーンズはライオンズ以上に補強に対し消極的であり、日本シリーズに進出した2005年、2010年共にレギュラーシーズンでは1位にはなっていない。いくら涌井投手が慕っていた大迫幸一コーチ、伊東勤監督の存在があったからとは言え、それだけではFA移籍を決断する要因とはならない。なぜなら監督やコーチはチームを去る時が必ず来るからだ。さらに言えば昨オフ、涌井投手はメジャー移籍という挑戦もしている。本当にマリーンズでプレーをしたくてFA移籍をしていたのなら、タイミングが少し違っていたように筆者には感じられた。

涌井投手は2013年オフにマリーンズに移籍したわけだが、将来的にメジャー移籍を目指していたのであれば、成績が向上した2015年のオフだったはずだ。涌井投手が本当にメジャーでプレーをしたいと思っていたのあらばあと1〜2年ライオンズでプレーをして、状態が上向いた2015年オフにメジャー移籍を目指すべきだったと筆者は考えている。だが涌井投手はその選択肢があったにも関わらず、2013年オフにFA権を一度先に使ってしまった。そのために筆者は涌井投手のライオンズ退団に関して強い違和感を覚えていた。あと1年ライオンズでプレーをしていれば、海外FA権を取得できていたはずだった。メジャー移籍という夢を持っていた涌井投手は、なぜその1年を待てずにライオンズを出てしまったのか?!ここには地元千葉への愛着以上の理由があったと考える方が自然に思える。

もしライオンズが涌井秀章投手をメジャー移籍まで流出させていなければ、直近の4〜5年はもっと違った戦い方ができていたのではないだろうか。ちなみに2013年のライオンズは2位でシーズンを終えているのだが、涌井秀章投手が抜けた2014年以降は3年連続でBクラスに低迷している。そしてこの間、当時のライオンズ伊原春樹監督がマリーンズに移籍した涌井投手を挑発するなどの出来事があり、ライオンズと涌井投手の関係は良好とは言えない状態になってしまった。

これらの要素が負のスパイラルとなり、ライオンズは10年間も優勝から遠ざかってしまったのだと筆者は考えている。さて、前編のこの記事ではライオンズが10年もの間優勝できなかった理由を私見として述べてみたが、後編では逆に、今季ライオンズが優勝できた要因について考えてみたいと思う。


埼玉西武ライオンズリーグ優勝までの10年間の軌跡 後編

2018年10月01日

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