松井稼頭央,引退

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2018年09月26日

レオの核弾頭と呼ばれた男、松井稼頭央選手がユニフォームを脱ぐ日

  • 西武復帰したばかりの松井稼頭央選手が引退を決意
  • 松井・大友・高木大成の俊足トリオを懐かしむ
  • 松井稼頭央選手のエラーは実は失点を防いでいた

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松井稼頭央選手がユニフォームを脱ぐ時が来た。昨オフ、松井選手は2003年シーズン以来のライオンズのユニフォームに袖を通した。今季は選手兼テクニカルコーチという肩書きでシーズンに挑んだわけだったが、しかしライオンズ若手野手の成長は著しく、23試合の出場に留まっている。打席にもここまで33回しか立っておらず、打率は.129と奮わない。だがライオンズファンにとっては、松井稼頭央選手が背番号7を背負ってベンチにいる、これだけで十分満足だった。FAでライオンズを去った選手が工藤公康投手に続き、再びライオンズに戻って来てくれた、これだけでも十分に満足することができた。


松井稼頭央選手の経歴をここで長々とお伝えすることはしない。だが筆者が最も思い返したいのは、やはり東尾修監督時代の松井稼頭央選手だ。当時のスローガン「Hit! Foot! Get!」の申し子とも呼べる松井選手は、松井・大友・高木大成という1・2・3番の俊足トリオを結成し、他球団の脅威となった。その後さらに9番に小関竜也選手が加わり俊足カルテットとも呼ばれるようになる。この頃のライオンズの攻撃はまさに爽快だった。現在のような破壊力はまったくなく、長打力不足をカバーするための走力の活用だったわけだが、これが相手投手たちを大いに苦しめた。ちなみにライオンズがリーグ二連覇を達成しているのはこの時の97〜98年が最後だ。

まず1番松井稼頭央選手が出塁し、盗塁で二塁を陥れる。そして大友進選手のヒットで一気に生還し、その大友選手も二塁を奪い、さらに高木大成選手のヒットで生還。そこからマルちゃんことドミンゴ・マルティネス選手、鈴木健選手、佐々木誠選手へと繋げていく。まさに「打線」と呼ぶに相応しい打線だった。現在の破壊力抜群のライオンズ打線も魅力的だが、どうしても投手目線で見てしまう筆者としては、この切れ目のない東尾監督時代の打線にも大きな魅力を感じていた。

後にアレックス・カブレラ選手やスコット・マクレーン選手が加わったり、高木大成選手の度重なる故障や大友進選手の不調により、松井稼頭央選手は3番を任されるようになるのだが、1番を打っていても、3番を打っていても、松井稼頭央選手の魅力は変わらなかった。そして2002年、スイッチヒッターとしては初のトリプルスリーを達成した。

松井稼頭央選手は遊撃手としては失策数が非常に多いと言われていた。だが決して守備力が低かったわけではない。もちろん生粋の遊撃手ではないため、遊撃手としての柔らかいプレーは得意ではなかったと思う。だが松井選手にはアグレッシヴさがあった。追いつけるか追いつけないというゴロをギリギリまで追いかけ、辛うじてグラヴで触れるも捕れないこともあった。それがエラーとして記録されてしまっていたのだ。

つまり瞬発力と走力が松井選手に劣る遊撃手では追いつけない打球にも追いつけてしまうためのエラーであり、決してポロポロとボールをこぼしていたわけではない。そしてこのミスとは呼べないエラーがあったからこそ、相手チームの三塁ランナーは簡単にはホームに突っ込めなくなってしまった。エラーは失点に繋がるとはよく言われるが、しかし松井稼頭央選手は失点を防ぐエラーをしていたと言うことができるのだ。この遊撃手としてのアグレッシヴこそが、ショートストッパー松井稼頭央選手の魅力だった。

だがライオンズ不動の遊撃手であった松井稼頭央選手は2003年オフにFA宣言をし、ニューヨーク・メッツへと移籍していく。しかしライオンズにはこの頃すでに、野手を育成する能力をすでに有していた。松井稼頭央選手が抜けた大きな穴を、若き日の中島裕之選手(現中島宏之)がすぐに埋めて見せてくれる。

そして2009年のアストロズ在籍時、松井稼頭央選手は日米通算2000本安打を達成し、楽天イーグルス在籍時の2015年、日本通算2000本安打を達成した。

松井稼頭央選手はまさに球史に残る選手だと言える。決して先輩風を吹かせるような態度はとらず、メジャー移籍後に二塁を守ることになった際には、まだ若手だった西岡剛選手に二塁守備を教わることもあった。チーム内では外国人選手たちがチームに早く馴染めるように積極的に声をかけてあげたり、若い選手が悩んでいれば的確なアドバイスをしてあげたり。2003年の松井稼頭央選手の打率は.248と芳しくはなかったが、しかし松井稼頭央選手の存在は、イーグルス初優勝に大きな影響を与えていた。もし松井選手の存在がなければ、イーグルスの優勝はもっと苦しいものとなっていただろう。

今後、松井選手は間違いなくライオンズに残ってくれるのだと思う。コーチとして多くのスラッガーを育ててくれるのだろう。そして行く行くは監督候補として、辻発彦監督の下で帝王学を学んでいくのだと思う。だがその前に松井稼頭央選手はライオンズのユニフォームではまだ日本一を経験していない。レオの核弾頭と呼ばれた松井稼頭央選手への餞として、ライオンズには是が非でも今季は日本一を達成してもらいたいと筆者は切に願っている。





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