多村仁志

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2016年01月15日

自身最高年俸の1/60で育成契約を結んだ多村仁志選手

logo-dragons.gifオフに横浜DeNAベイスターズを自由契約になっていた多村仁志選手が、育成選手としてドラゴンズ入りすることが発表された。年俸は推定300万円とされ、背番号は215。2011年には1億8000万円という年俸を得ていた多村選手だが、そこから比べると実に60分の1という金額になってしまった。

実は多村選手は完全なる成績不振によって自由契約となっていたわけではない。確かに昨季2015年は1軍では4試合にしか出場していないのだが、これはチームの若返り方針によるものであり、多村選手自身は2軍でしっかりとした結果を残している。ファームとは言え1試合2打席限定という条件付きで打率.317、本塁打7という数字は立派だと思う。だがこれだけの成績を残しても、世代交代を推し進めるチーム方針により1軍昇格することはできなかった。

多村選手は合同トライアウトには参加しなかったわけだが、ファームで残したこの成績があるからこそ、ある程度の自信は持っていたのだと思う。だが今年39歳になるという年齢と、2015年は4600万円という高額年俸から、多村選手を獲得する球団はなかなか現れなかった。そんな状況の中で接触してきたのが落合GMだったというわけだ。

今回多村選手は育成契約という形になったわけだが、多村選手が1軍でプレーをするためにはまず、支配下登録選手に昇格し、そこからさらに2軍から1軍へと昇格していく必要がある。だがこれだけ実績のある選手を育成契約にすべきなのだろうか。育成選手制度とはあくまでも、潜在能力を秘める若い選手を1人でも多く開花させていくことに主眼があるはずだ。もちろん厳密なルールがあるわけではないため、ベテラン選手を育成契約することが違反になるわけではないのだが、これだけ実績のある選手なのだから、例え年俸は低くても支配下選手として契約してあげても良かったのではないだろうか。

だがこの育成契約は、ある意味入団テストと取るべきなのかもしれない。キャンプやオープン戦でプレーできることを証明できれば、開幕前に支配下登録される可能性も高い。いや、多村選手ほどの打力があれば、怪我でよほど動けないという状態にならない限りは開幕までに支配下登録されるのではないだろうか。プレーの質、そしてそれを見た上での年俸査定という意味での育成契約なのかもしれない。

多村選手は昨年末に落合GMと直接交渉を行っていたようだ。恐らくその場で育成契約をする意図を説明されたのだと思う。そしてその意図、条件に納得できたからこその育成契約だったはずだ。これもやはり落合GMからの檄なのだろう。最底辺として、プレーできることを証明してくれれば支配下登録選手として契約を結び直す、という。

近年、40代の投手が活躍する機会は増えたが、打者に関してはそれは少ない。40歳前後で今なおレギュラーを張っているのは昨年40歳になった松井稼頭央選手と、38歳になった福留孝介選手くらいではないだろうか。ちなみに多村選手は学年こそ福留選手の1つ上となるが、年齢的には1ヶ月しか違わない。

松井稼頭央選手の存在がある限り、多村選手もまだまだプレーすることができるはずだ。長距離砲としての鳴りは潜めてしまったが、しかしいざという時の勝負強い打撃は健在だ。昨季は5位に沈んでしまったドラゴンズだったが、多村選手にはこれまでの豊富な経験をすべて活かし、ベテランとして縁の下からチームを支え、チームを再浮上させることに尽力してもらいたい。働き場さえ得られれば、多村選手ならばきっとそれができるはずだと筆者は信じている。





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