栗原健太

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2015年11月13日

広島を自由契約になり、楽天のテストを受けた栗原健太選手

logo-npb.gif広島カープ不動の4番打者になるだろうと誰もが期待していた栗原健太選手だが、このオフ、カープを自由契約になってしまった。つまり事実上の戦力外通告ということだ。栗原選手はここ2年間は右肘の痛みがなかなか取れず、1軍では一度もプレーしていない。それどころか2012年以降は合計45試合にしか出場しておらず、年俸も下がる一方となっている。

怪我さえなければ栗原選手は、タイトル争いの常連となっていたはずだ。だが若い頃からヘルニアや肘痛に悩まされ、試合に出続けられるシーズンは素晴らしい成績を残しているのだが、30代に入ってからは試合に出ることさえままならなくなってしまった。

「怪我さえなければ素晴らしい選手になっていた」と言われる選手は数多いが、栗原選手もまさにその一人と言える。選手生命が絶たれるような大怪我はないものの、ヘルニアによる腰痛や右肘痛というのは、我慢しようと思えば我慢をしてプレーすることができる。恐らく痛みを圧して頑張り続けたがために症状が悪化してしまったのが栗原選手だったのではないだろうか。

2009年のWBCで、栗原選手は代表候補から落選してしまった。だが落選後も栗原選手はそこで気持ちを途切らすことなく、打ち込みを続けた。そんな真摯な姿勢が日本代表・原辰徳監督の目に留まり、怪我をした村田修一選手の代役として代表に再招集されることになった。栗原健太選手というのは、野球に対しこれほど真剣に取組んでいる選手なのだ。だからこそ「怪我さえなければ」と筆者も常々考えてしまう。

カープを自由契約となり、そこに手を差し伸べてくれたのは楽天イーグルスだった。秋季キャンプで入団テストが行われ、持ち前の長打力や守備力をアピールすることができた。恐らく入団という運びになるのではないだろうか。ではなぜ楽天イーグルスだったのか。

楽天イーグルスには2011年、手塚一志氏というコーディネイター(コーチ)が在籍していた。上達屋という野球塾を主宰している野球指導者だ。実は栗原選手は上達屋の門下生だったのだ。これは想像の域を出ないわけだが、もしかしたらイーグルスに縁のある手塚氏が、栗原選手を推薦してくれたのではないだろうか。

栗原選手の最後のユニフォームとして、イーグルスはベストだと思う。理由は単純で、栗原選手は山形県出身だからだ。東北のチームで野球人生を全うするというのは、栗原選手にとっては最高の形と言えるのではないだろうか。イーグルスのユニフォームを着れば、コボスタ宮城には今まで来なかったような栗原ファンが多く足を運んでくれるはずだ。

来季はしっかりと体のケアをし、怪我に負けることなく、イーグルスの4番を奪取することにより故郷に錦を飾ってもらいたい。そして2013年の日本一以降、2年連続の最下位に沈んでいるイーグルスを立て直す大黒柱として、1年間溌剌としたプレーを魅せ続けてもらいたい。筆者はそう切に願っているのである。





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