馬原孝浩

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2015年12月14日

引退・馬原孝浩投手、名守護神の静か過ぎる幕引き

logo-buffaloes.gifまたひとり、名投手が球界を去ることになった。日本を代表するクローザーであった馬原孝浩投手だ。ホークス時代は最多セーブにも輝き、ホークスの優勝にも大きく貢献した投手だった。だが2012年オフ、当時バファローズに在籍していた寺原隼人投手がFA権を行使しホークスに復帰すると、その人的補償でバファローズに移籍することになってしまう。この時、寺原投手のホークス復帰を最も喜んでいたのが馬原投手だったと言う。

2012年の馬原投手は春先に手術を行い、1・2軍ともに出場していない。そして年俸が1億8,000万円と高額だったということもあってか、人的補償のプロテクト枠に加えられることがなかった。だが実はホークスはこの時、まさか肩を手術して1試合も投げていない馬原投手が人的補償として指名されるとは予想していなかったようだ。そのためあえてプロテクト枠から外していたようだ。

パ・リーグTVオフィシャルYouTubeより

その時オリックスの監督に就任していたのは、ホークスのコーチ時代、馬原投手の全盛期を目の当たりにしていた森脇浩司監督だった。森脇監督は、馬原投手がプロテクト枠から外れていると知るや否や、迷わず獲得を決めたと言う。だが手術をしても馬原投手の肩は完全に癒えるどころか、腕神経叢(わんしんけいそう)の炎症により腕の脱力感にも苦しめられてしまう。それにより移籍1年目はわずか3試合の登板に終わり、2年目は55試合に投げ32ホールドをマークするも防御率は3.55。そして今季2015年は不振や膝の故障により9試合の登板に終わっていた。

シーズンが終わると馬原投手を待っていたのは大減封だった。今季2015年の年俸は1億3,500万円と言われていたが、提示されたのは減額規定上限を上回る大減封。馬原投手はこの提示を固辞し、自由契約という道を選び、アメリカ球界への移籍も視野に入れ来季に備え始めていた。しかし移籍先が見つかる目処は立たず、思うようなボールを投げられないという現実も重なり、馬原投手のアスリートとしての炎は儚くも風前にて抵抗し切ることはできなかった。

思うようなボールを投げることもできず、左膝も痛めており、それでもなぜ馬原投手はアメリカへの移籍を目指そうとしたのか。それはアスリートとしてのモチベーション以外の何物でもないと筆者は考える。仮に今季年俸から40%の減額だったとしても8,100万円という金額となり、恐らく実際には6,000万円前後の金額か、それ以下の額が提示されたのだろう。さすがにここまで一気に下がってしまうと、「活躍して稼いでやろう」という気持ちも萎えてしまうのが人間だ。

結果を出して稼ぐというモチベーションを失い、別のモチベーションを探そうとして出した答えが、アメリカ球界への移籍も踏まえるということだったのではないだろうか。何か目指せるものがあれば、アスリートとしてのモチベーションを何とか維持し続けることもできる。だがここに来て、そのモチベーションさえも抱え切れなくなるほど、体が言うことを聞いてくれないことに愕然とさせられてしまったのだろう。

だが馬原投手には今後、新たな別のモチベーションが芽生えてくるはずだ。野球に対し真摯であり、チームメイトからの人望も厚い馬原投手は、将来的には投手コーチとして再びユニフォームを着るべきだ。栄光も挫折も知る一流投手だった馬原投手には、並のプロ野球選手では決して得られない経験値がある。その経験値は必ず後進の育成に役立つはずだ。

どの球団でもいいではないか。なぜならどの球団も日本人の守護神を育成することに苦労しているからだ。ホークスじゃなくても、バファローズじゃなくてもいいと思う。将来どのチームのユニフォームを着たとしても、馬原投手には自身を超える守護神を育成してもらいたいと、筆者は今切に切に願っているのである。





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